大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(ラ)452号 決定 1984年6月14日

抗告人 寺山信彦 外一名

右両名法定代理人親権者父 岡村誠

主文

原審判を取り消す。

抗告人らの氏をいずれも父岡村誠(本籍東京都渋谷区○○○×丁目××番地)の氏に変更することを許可する。

理由

本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消し、本件を浦和家庭裁判所川越支部に差戻すとの審判を求める。」というのであり、その理由は、別紙記載のとおりである。

(当裁判所の判断)

一  原審判第二丁表五行目から第四丁表五行目までを、次のとおり付加、訂正の上、引用する。

1  第二丁表五行目の「本件記録」の次に「(原審及び当審)」を加える。

2  第二丁裏七行目の「両人の間に」の次に「昭和四六年六月三〇日」を加える。

3  同末行の「俊子との間に」次に「昭和五一年一月二四日」を加える。

4  第三丁裏九行目の「申立人らは、」の次に「当時の親権者俊子を法定代理人として、」を、同末行の「同裁判所により」の次に「、子の氏の変更の許否については、子の福祉、利益を考慮して決しなければならないが、さらに婚姻の倫理性、家庭の平和と健全性の維持、擁護の見地から戸籍について利害関係を有する本妻やその間の子らの意向を無視することはできず、結局婚姻関係にない者の間に出生した子の保護と婚姻倫理の尊重という両観点から関係人の利害感情を慎重に比較衡量して判断しなければならないとして、双方の立場につき検討を加えたうえで、現段階(当時は前記離婚調停が係属中であつた。)では、夫婦間の調整を図ることが何よりも急務であるとして、右」をそれぞれ加える。

5  第四丁表四行目の次に、行を変えて、次のとおり加える。

「11 妻及び長男宏治を各原告、誠を被告とする東京地方裁判所昭和五六年(ワ)第三六六四号事件につき、昭和五七年三月一九日次男満、長女加代を各利害関係人として、誠が妻、宏治及び利害関係人両名に対し、東京都渋谷区○○○×丁目××番×、宅地三三二・〇三平方メートル及び同所家屋番号××番×の×木造瓦葺二階建居宅、一階一〇八・八九平方メートル、二階六八・三一平方メートルにつき各持分四分の一の所有権移転仮登記をすること等を内容とする和解が成立し、誠は、同年四月三日右仮登記手続をしたこと、

12 浦和家庭裁判所川越支部は、同庁昭和五六年(家)第二六一号婚姻費用分担申立事件につき、昭和五六年七月一四日誠に対し、婚姻費用の分担として、金一九五万円及び昭和五六年六月一日から妻との別居又は婚姻の解消に至るまで、毎月末日限り金三〇万円を支払うことを命じる審判をし、誠は、以来右義務を履行し、妻はこれを中心に、生計を立てていること、

13 他方、誠は、俊子及び抗告人らと暮してきた入間市大字○○○字○○○××××番地の自宅敷地周辺の土地を買受け、昭和五六年中に約三〇〇〇平方メートルの敷地に広壮な庭園と邸宅を完成させて、ここに移つたが、このことも妻やその間の子らの反感をつのらせる要因となつており、7で認定した和解後も、誠と妻との間に復元の努力はみられず、現在では、妻及び三人の子らは、以前にも増して強硬に抗告人らの氏の変更に異議を述べ、誠と対立していること、」

二  以上によれば、誠と妻との婚姻関係は、誠が俊子との不貞関係を恒常化し、これを強めるに従い一方的に破壊されてきたものであつて、妻やその間の子らが、誠の不信行為を非難し、本件氏の変更に強く反対している心情は十分理解できるところではあるけれども、誠と妻の関係が今後好転することは、もはや現時点ではとうてい期待できず、一方、前回の氏の変更申立却下の審判がなされたのち、抗告人らの親権者は誠に変更されており、誠と俊子及び抗告人らの共同生活関係は更に定着していくことが予想される。

そして、前回の審判後、誠は、当然のことながら婚姻費用分担の審判によつて定められた相当額の金銭の支払を履行し、また、誠の資力からみて十分といえるかどうかはともかく、妻及び三人の子らに対し前記仮登記をする等の経済的配慮は示しており、また、前回の審判当時、抗告人らの申立てが認められた場合に妻や三人の子らについて生ずるほとんど唯一の現実的不利益として懸念された次男の縁談に対する障害も、同人の結婚によつて解消している。妻も、前記離婚事件において和解を成立させた段階では、抗告人らが重ねて氏の変更申立てをすること自体には異論を述べないとしても、それが夫婦間の紛争とは本来は別個の観点から処理されるべき問題であることを或る程度理解したやにうかがわれる冷静な立場に立つことを明らかにしている。ただ、その後の誠や俊子のとつた行動が、妻に対する思いやりに欠けるところのあつたことは否めず、妻や子らの感情をいたく刺戟していることは前叙のとおりである。

申立人らが特別な教育的配慮をうけて学校生活において「岡村」姓を使用していることは前記認定のとおりであり、日常生活においても、母俊子とともに既に相当年数を右の氏を使用して過ごしていることも当然推認されるところである。その結果、さしあたつては不都合を来していないようにうかがわれるものの、戸籍上の氏と異なる氏を使用していくことが今後の生活上さまざまな支障を招くことはみやすい道理であり、日常使用している氏が戸籍上の氏と異なり、共同生活体の中心である父の氏とも異なることを知り、しかもその変更がいつまでも認められないままで推移することが抗告人らに対し重大な精神的負担を与え、その健全な人格形成に悪影響を及ぼすことも十分に考えられることを顧慮すると、上叙のような諸般の状況にある現在の段階に至つては、子の福祉、利益を尊重する観点から、抗告人らの氏を父の氏に変更することを許可するのが相当であるといわなければならない。妻がそれによつて精神的苦痛をうけることは、その反対意思の表明に照らし想像に難くないが、氏が本来は個人の識別のための呼称にすぎないことに思いを致せば、そのために誠の従来の仕打ちによつて被つた重大な苦痛が更に甚だしく加重されるとするのは思い過ごしというほかなく、上記の結論を左右するほどの事情とするわけにはいかない。

三  よつて、原審判は失当であり、本件抗告は理由があるので、家事審判規則一九条に則り、原審判を取り消し、抗告人らの申立てに係る氏の変更を許可することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 横山長 裁判官 野崎幸雄 浅野正樹)

抗告理由

民法七九一条一・二項により子の氏を変更する場合、関係人の意向・利害等を考慮すべきことは、子の氏の変更を家庭裁判所の許可にかからしめた法の趣旨からも当然であると考える。もとよりこの点に関し、第三者は氏の変更に異議をさしはさむ余地はなく、また氏の変更は実体法上の効果を伴うものではないから、本妻、嫡出子らの反対を考慮する必要は全くないとする学説も有力で裁判例も東京家審昭和四二・八・一〇(家月二〇巻三号六九頁)福岡高決(昭和四三・一二・二(家月二一巻四号一三七頁)等少なからず存するけれども、この立場に組するものではない。

しかしながら、本妻らの反対があれば、変更を許可すべきでないとすることがまた法の精神に反することは明らかで、本妻らの利害感情と非嫡出子の側の氏の変更を希望する理由とを比較衡量して子の福祉の見地からその拒否を決すべきものである。そしてその場合いずれを重視すべきかは異論のあるところであるけれども本件において、両者を比較衡慮すれば、子の福祉のために氏の変更を許可すべきであることに疑いを抱く余地はないといえる。

本妻らの利害感情を無視すべきでないとする根拠として、婚姻の論理、婚姻家庭の平和と健全性の維持といつた理念面と、嫡出子の婚姻・就職面における支障が一応考えられよう。ところで本件では、嫡出子はすべて婚姻をし定職をえてそれぞれ一家を構えており、この点の支障は全く考えられない。また本妻との関係では、すでに離婚調停・離婚訴訟を重ね、婚姻関係は全く破綻し、ただ本妻がかたくなに離婚を拒否しているがために法律上婚姻関係が継続していることになつているにすぎない。

そのために離婚訴訟においても別居状態を公認し、申立人ら非嫡出子らの福祉という観点から特に裁判所の氏の変更についての判断に異議を述べないこととして和解を成立せしめているのである。右の事情からみれば、子の氏の変更により婚姻家庭の平和を破壊するとか婚姻論理にもとるとかいつたことの危惧は全く容れる余地がなく、本妻らの反対は単なる感情的反発に基くもので、かかる反対を顧慮することは、法の精神に反するもので、とうてい承服しがたいところである。かかる立場に従う裁判例は、東京高決昭和四四・七・四(家月二二巻三号六六頁)その他枚挙にいとまがない。

すでにのべたように、子の氏の変更の拒否を決する場合も重視すべきは子の福祉である。ことに本件におけるように、小学生二人の子がある場合に父と氏の相違を知り、それが何に基因するかについて疑問を抱くようになつたときは、子の受る精神的打撃ははかり知れないものであろう。これが父親に対する敬愛の念を失なわせ、道を誤る第一歩ともなりかねない。このことは、NHKTV「おしん」の「希望」のシーンを想起するだけで充分であり、それ故にこそ小学生においても教育的見地から「岡村」での就学を認め、卒業証書の交付にあたつても添付書面の如き格別の配慮をつくしているのである。

もとより父の氏を称するようになれば、母の氏と異ることになるが、父の生活に依拠している以上、父の氏を名乗ることが、子の利益であることはいうまでもない。離婚訴訟において離婚の前提として別居を認め、子の氏の変更についても特に言及して和解をなした精神もここにあるのであつて、父と母と本件申立人二名の子によつて営まれている生活の現実を直視するときは、かかる本質と経過を看過した原審決はとうてい許容されるべきものではない。

〔参照〕原審(浦和家川越支 昭五七(家)一八八六、一八八七号 昭五八・八・二九審判)

主文

本件申立をいずれも却下する。

理由

(本件申立ての趣旨及び実情)

本件申立ての趣旨は、申立人らの氏「寺山」を「岡村」に変更することの許可を求める、というのであり、申立ての実情は、「申立人らは、いずれも父母と同居の生活を送り、父が申立人らを認知したが、父と氏が異るため同居生活上支障があるから、父の氏「岡村」への変更の許可を求める、というのである。

(当裁判所の判断)

本件記録及び調査の結果によると、以下の事実を認めることができる。

1 申立人らの父岡村誠(大正七年一二月二八日生)(以下単に誠という)は、昭和一九年一一月五日吉子(以下単に妻という)と婚姻届出をなし、昭和二一年一月一六日長男宏治を、昭和二三年七月三日長女加代を、昭和二六年一月二日弐男満をそれぞれもうけたこと、

2 誠は、昭和二七年ころ、○○○○工業株式会社を設立して同社の代表取締役となり、段ボール類の製造販売業を営んできたが、同社は年々事業を発展させてきたこと、

3 誠は妻及び子三人と平穏に暮してきたが、昭和四四年ごろから前記会社で主に経理を担当していた申立人らの実母寺山俊子(昭和一〇年一月二六日生)(以下単に俊子という)と肉体関係を持ち、両人の間に申立人信彦が生れたこと

4 誠は、妻らに詳しい事情を伝えることなく同年九月一八日、申立人信彦につき認知の届をなし、右事情を知つた妻や子らに対しては、俊子との関係を清算する旨誓約したにも拘らず、依然関係を継続し、俊子との間にさらに申立人慎吾をもうけ、前同様妻らに事情を伝えることなく、昭和五一年四月二七日認知の届をしたこと、

5 誠は、妻と俊子との間を往来していたが、昭和五二年ごろからは俊子及び申立人らと同居の生活を送り、妻とは日常生活を送つていないこと

6 現在、申立人信彦は小学校六年生に、申立人慎吾は同じく二年生に在学しているが、いずれも教育委員会と相談のうえ学校生活のうえでも「岡村」姓を使用していること、

7 誠は、妻との離婚を望み、東京家庭裁判所に離婚の調停を申立てたが不調となり、さらに東京地方裁判所に離婚の訴訟を提起し昭和五七年一一月一〇日、誠と妻とは現状のまま別居するが、別居期間中誠実に協議を続け、婚姻関係の復元に努力する、誠は妻との間の子三名及びその家族と円滑に交流し、意思の疎通をはかるよう努める、妻は、本件申立人らの氏の変更申立てをなすこと自体に異議はなく、その法的な最終判断を尊重する、とする和解が成立したこと

8 妻及びその子三名らは、いずれも誠が永年に亘り家庭を破壊するような行為をしておきながら、申立人らを誠の戸籍(現在子三名はいずれも婚姻して除籍され、誠と妻のみが在籍している)に入籍することを強く反対していること

9 申立人らは、昭和五五年一月二二日、浦和家庭裁判所川越支部に対し、本件同様の「氏の変更許可の申立」をなしたが、同年三月二一日、同裁判所により申立は却下され、これを不服として東京高等裁判所に即時抗告したが、同年六月一六日抗告棄却の決定がされたこと、

10 昭和五八年二月一八日、誠と俊子は、申立人らの親権者を誠と定める旨の届出をなし受理されたこと

以上の事実が認められる。

ところで、子の氏の変更の許否については、子の福祉、利益を考慮して決すべきであることはいうまでもないが、他方許可の審判によつて戸籍を同じくするに至る妻らの利害、意見等も全く無視することはできない。

前記認定の事実によれば、申立人らは誠と同居生活を送つており、戸籍上誠の氏と異ることによる不便さは否定し得ないけれども、小学校においては事実上「岡村」姓を使用することの了解を得ており、日常生活も同じく使用していること、他方誠は、妻ら家族に対し俊子との関係が原因で長年に亘り心労を与え、少くとも昭和五二年ころからは遺棄同然の態度をとつており、このため妻らは、本件申立てに強く反対しているのであつて、これに前記離婚訴訟における和解の内容をも考慮すると、申立人ら自身において何らの責任がない(申立人らを今日の状況に置いているのはいうまでもなく誠と俊子の責任である)ことを直視しても、いまだ現状では、本件申立はいずれも相当でないと考えられるからこれを却下することとする。

よつて、主文のとおり審判する。

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